在宅介護の25年

在宅介護の25年

先天性脳性マヒの兄と歩んだ歳月

著:藤野絢

書店発売日:2014年12月24日
定価:1,600円+税
ISBN:978-4-87177-326-3

ビジネスのキャリアも捨て、恋の道も諦めて、重度身体障害者である兄を施設に入れず、自宅で介護する生活に入って25年。いつしかそれは老々介護となり苦労もたくさん出てくるが、迷うことなく介護生活にまい進する元気な女性の日常を描いた介護エッセイ。


これは、私の七〇余年の人生と、その中で最も深く関わった、重度身障者である兄との物語である。
 二〇一四年五月一九日で私は満七二歳になった。一種一級重度身体障害者である三兄滂(ゆたか)を一九八七年から二五年間にわたって在宅介護をし、二〇一二年七月に彼を見送った。
 滂は先天性脳性麻痺で、その脳障害のため、彼が摂取する食物の栄養吸収率は僅か三割程度だった。それが要因だろう、身体が極端に細い。アウシュビッツ収容所の写真を思い起こすほどだ。彼は、その痩身故からか起立不能だった。四肢に痙攣、麻痺、硬直は見られず、屈伸運動も普通にできるのだが、機能的な動きには結びつかない。つまり赤ん坊と一緒で、一〇〇%の世話を要する重度身障者である。両親は彼の知能をおよそ一歳半位だろうと、上の二人の子育て経験から判断していた。
 しかし、滂は実に豊かな情緒の持ち主だった。家族とのコミュニケーションも濃く、喜怒哀楽の表情もはっきりしていて「輝く笑顔」が魅力たっぷりだ。「目が合ったら必ず笑いかけて、ゆたかちゃん、と呼びかけるように」と母は私たち兄妹に言い聞かせ、彼は家族の微笑と愛の中で育まれていった。


藤野絢(フジノアヤ)
1942年兵庫県芦屋市生まれ。
第2次世界大戦の空襲により岐阜県各務原市に逃れる。その後、名古屋市に移り、愛知県立旭丘高校を卒業。1965年から2年間ロンドンに在住。帰国後、モントゴメリーウォードに入社。マーケットプレゼンタティヴとしてギフトウェア、ディナーウェア、アパレル関係を担当する。83年に同社を退社し、株式会社三栄コーポレーションに入社。85年に株式会社クイジナートサンエイを企画設立。マーケティングマネージャーとして米国製高級フードプロセッサーの国内販売とソフトウェアの開発を担当する。87年に同社を退社し、重度身体障害者である兄の介護生活に入り、2012年にその兄を見送る。
著書に、『娘が書いた母の肖像』『生かすも殺すも』『各国の医療事情覗き見』『遺書』がある。

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