男社会をぶっとばせ!反学校文化を生きた女子高生たち
著:梶原公子
書店発売日:2023年3月25日
定価:1,500円+税
ISBN:978-4-87177-364-5
1990年代のある地方都市に公立の女子高校があった。そこに通う生徒たちは勉強嫌いだった。成績はふるわず、素行も悪い。にもかかわらず、彼女たちは学校を休むことを知らなかった。
日本では学制発布以来自由教育を施したことはなく、一貫して管理教育である。本書に登場するH女子高の生徒たちは、そんなことにはお構いなく、自由を謳歌していた。メリトクラシーなどとは真逆の、ぶっとんだところで生きていた。そんな彼女たちの生き様に低迷する社会を変える力があるのではないかと考えた著者は、今は大人となった元生徒たちへの取材をはじめる。その作業の中から見えてきた現代社会のゆがみと、未来への希望を描いた、「女版ハマータウンの野郎ども」の世界。
目次
序章 女性のライフステージ
生徒の質問
女子高生のリアル
性教育は有効だったか
妊娠・出産というライフステージ
第1章 女子高校生という存在
「女版野郎ども」
「女版野郎ども」の魅力
集団宿泊訓練
初めて生徒を殴る
学校を疑う
生徒は制服が好き
世間の規範、彼女たちの流儀
踊り狂う生徒
第2章 管理教育の行方
「オン・ザ・眉毛」
外見が大事
無断バイトにはビンタ
教員が教員を殴る
もみ消された事実
「指導」で非行防止する
「指導」に抵抗する生徒
白いリボン
うまくいかなかった生徒総会
生徒が殴られる
当たり前の校則に変えたい
第3章 「自由」という苦悩
自由と自由教育
女子高生のイメージ
授業が成り立たない
反学校の文化
授業をしないという決断
最後の授業
「売春婦になってやる」
秋田出身の教師の話
学校で下着を売る
高潔と堕落
第4章 めぐみとミユキ
田舎町からニューヨークへ
バンドオーナーとの出会い─めぐみ
洋裁を本格的に習う
日本との違いを実感する
「高校は楽しかった」
「いつも誰かといたい」
古いファッションに惚れ込む
バカ高校─ミユキ
嫌だったこと
「この仕事には仁義がある」
汚れた純真な女
世のなかのこと
第5章 「ふつう」の女子高生たち
ふつうとヤンキー
暗い中学、楽しい高校
居場所を見つけた─美佳
先輩のスカートを盗む
「お前はいくつだ」
彼氏について
万引き
いまは幸せ─淑子
オシャレに目覚め、解放される─香奈
彼氏について
自己肯定感
学校の権威が失墜して
記憶が薄い中学高校時代─節子
未来に希望が持てない
彼氏は欲しい─ゆかり
帰宅部、合コン
バイトの功罪
保育士の仕事
第6章 結婚はしません
結婚制度のほころび
チャラ男と別れたあと─由紀
職を探す
養育費を取り立てる
先輩は怖いけど、自由な雰囲気─美津子
女子高校は楽しい
手に職をつける
「養育費を出さない」という元夫
「女はもっと評価されていい」
「とんでもないところに来た」 ─みすず
バイトへの「指導」が変わった
男に幻滅する
病気、そして仕事
結婚に夢が持てない
寿命は早いほうがいい
女子高でよかった─美智子
愚痴が多いのに、なぜ結婚するのかな
終章 信念変更の物語
勉強嫌いは「悪」じゃない
女子高生と接するには
「私たちのこと、本に残して」
前書き
生徒が全員女子という、いわゆる女子高校に私は一四年間勤務した。教員人生の多くの年月を費やしたこの経験を通して感じたことがある(もちろん一つではないが)。それは「大雑把に言って女子高生は二つのグループに分けることができる」ということだ。一つは学校文化に染まるグループ、もう一つは反学校文化に染まるグループである。学校文化とは「メリトクラシーを信じている」「成績がよければ自己実現につながり、喜びが持てる職業に就ける」「職業人としての自覚が持てる」などを金科玉条としている。これを受け入れ、内面化した生徒たちが、学校文化になじむグループ。対する反学校文化とは「メリトクラシーを信じない」「能力競争というモノは多数者から特権的な少数者が選別されるにすぎない」ことを知り抜いているグループだ。
反学校文化とは、英国の社会学者ポール・ウィリスが『ハマータウンの野郎ども─ 学校への反抗、労働への順応』(熊沢誠、山田潤訳 ちくま学芸文庫 二〇〇一)に書いた労働者階級の少年たち、つまり「野郎ども」の特質を指している。「野郎ども」は努力すればそれに応じて報われるという学校の教えを信じてもどうにもならないこと、自分たちが社会に出て優位に立つことができるのは肉体労働であることを心得ている、そういう少年たちを指している。
学校は学校文化に忠実な生徒を評価する。だが、ウィリスは勉強が嫌い、素行が悪いという労働者階級の少年たちに注目し、彼らの特質を「反学校文化」という言葉で提示した。ウィリスが提示した少年たちの特質は、私が接した「底辺校」といわれる女子高生と重なる部分があった。彼女たちもまた「野郎ども」と同様に、メリトクラシーに従っても自分たちは敗者になることを知り抜いていた。つまり学校文化の欺瞞性に気がついていたのである。
私は学校文化になじむ生徒にも、反学校文化になじむ生徒にも接してきた。が、本書の主人公は反学校文化になじむ女子高生である。彼女らは一般的に、社会でマージナルな位置が割り当てられている。反学校文化に浸りきった彼女らと初めて接した時は、それまで接してきた生徒との違いに驚愕した。当初は「授業のスタイルや学習内容で工夫を凝らすことで授業は成立するかもしれない」という淡い期待を持った。だが、現実はそんなに甘くなかった。のちに述べるように、彼女らを相手に授業をすることの無意味さを心の底から実感していったからである。
〈中略〉
教員生活の中で私が接した「女版野郎ども」は、勉強嫌いで粗野である。そこには、それまでの学校生活や家庭で受けた痛みや苦しさ、辛さ、理不尽な扱いに対する怒りが根底にあると私は考える。彼女たちはその気持ちを生身の人間の言葉や態度で表現し、肉体そのものでぶつかってくるのである。初めて遭遇した時は驚いた。だが、付き合いが深まるにつれ、そこに込められた怒り、苦しめられてきたものから脱出したい、そういった気持ちがわかるようになってきた。と同時に彼女たちの言葉と態度、エネルギーに強烈な新鮮さを感じたのである。
「女版野郎ども」はいざとなった時、人生で困難に出会った時、絶望したりしない。ニヒリズムに陥ることなく、空虚な幻想を持つのでもなく、それを乗り越えるためまずは経済力を身につけるのである。もともと絶望的位置にいる、これより下はないと思っているからかもしれないが、彼女たちはしぶとく、したたかである。「女版野郎ども」、あるいはヤンキーと呼ばれる女子高生と付き合う中で、私のほうが希望を与えられたこともあった。彼女たちの存在と生き様は決してフィクションではない。まぎれもない現実だ。
梶原公子(カジワラキミコ)
1950年生まれ。静岡県立静岡女子大学卒。高校家庭科教員として20年あまり勤務。退職後、立教大学大学院で社会学修士、聖徳大学大学院で栄養学博士。のち管理栄養士資格を取得。社会臨床学会運営委員などを経て、若者のひきこもり、女性の労働問題等をテーマに取材執筆活動をおこなっている。
著書に「コミュニティユニオン 沈黙する労働者とほくそ笑む企業」「25パーセントの女たち 未婚、高学歴、ノンキャリアという生き方」(あっぷる出版社)、「自己実現シンドローム」(長崎出版)、「若者はなぜ自立から降りるのか 幸せなヒモ婚へ」(同時代社)などがある。
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