パレスチナ 残照の聖地 増補復刻版

パレスチナ 残照の聖地 増補復刻版

殉教者たちへのレクイエム

著:村田信一

書店発売日:2024年5月2日
定価:1,800円+税
ISBN:978-4-87177-368-3

ガザを訪問すること数十回に及ぶ元戦場ジャーナリストによる、戦争だけではない、聖地としてのパレスチナの日常を伝えるルポルタージュ。在りし日のガザとヨルダン川西岸の人々の暮らしと風景を伝える1冊。


前書き

 私のパレスチナへの旅は、まだ中学生だったころからはじまっている。もちろん、実際にパレスチナの大地に立ったのは、もっと後のことであるが、当時の私は自分とパレスチナとを隔てる距離を瞬時に超えて、彼の地を彷徨った。いつの日か自分の脚で彼の地を歩くことを夢見ながら、意識は毎日のように飛翔していたのだった。網膜に焼き付いた情景は、以来私の脳裏に染みついて離れることはなかった。
 十代の私が夢見ていたのは、革命のロマンであり、死へと立ち向かっていく人々の滅びの美学とでもいえるものであった。それはリアルでありながら、これ以上ないほどの幻想でもあった。私が実際に彼の地に赴いたとき、その幻想は、文字どおり幻のように霧散してしまっていた。微かな残り香を漂わせてはいたが。
 1980年代後半から、パレスチナでは新たな戦いが進行していた。インティファーダと呼ばれたそれは、占領下のパレスチナに生きる人々の抑えきれない衝動であり、生命の迸りだった。しかし一方では、人々の生々しい叫びや悲嘆、怒りや苦しみの向こうには、いつも政治や、大きな枠組みによる意図が見え隠れし、そのことで私は醒めていき、いつしか意識は違う次元へと導かれていった。それはまた、30年ほども続いてきた革命、民族解放、聖戦いったレトリックからの、私自身の解放に他ならなかった。
 私は以来、より普遍的な意識でパレスチナの地に立つようになった。パレスチナという呼称に政治的意味合いをくみ取る人も多いかもしれないが、より歴史的、文化的意味合いでのパレスチナを私は意識するようになった。そこには現在の国境線も民族や宗教の差異もないということを、ぜひ知って欲しいと思う。
 パレスチナは聖地である。数千年からの長きにわたって続いていることであり、歴史に名を残す幾多の預言者たちがこの地を歩き、実現のために尽力してきたのは、真の意味での平安をもたらすために生きることだったのだと、私は信じている。そして、今の時代がそれらの意思から、大きく逸脱していることもわかっているつもりだ。だからこそ、現状に流されることなくそこに行き、空気の流れや漂う匂い、自然の音に耳を澄まし続け、そうすることによって、全く違うものが見えてくるのだと考えた。
 記憶というものは、明確なようで実はおそろしく曖昧なものだ。私たちは、さまざまな先人の記憶、残された書物や建造物、文化の記憶を持っているが、それらは目の前で進行している物事の前では、影が薄くなりがちだ。まるで太陽が月に蝕されて消えていき、漆黒の闇があたりを支配していくかのごとく。しかし次の瞬間、闇がかき消されて新たな光が世界を支配し、先ほどまでの記憶は定かではなくなっていく。その繰り返しである。
 遠い過去に思いを馳せ、これからの未来を夢想しながら旅したパレスチナ、そこでの私の体験と思索の一端、交錯し続ける過去から未来への情景。そういったものを、この本でどれだけ表現できるだろうか。また、どれだけの人にその空気や匂いを伝えることができるのだろうか。



村田信一(ムラタシンイチ)(著)
1963年生まれ。松本市出身。
1990年から海外取材をはじめる。パレスチナ、イラク、ソマリア、チェチェン、コンゴ、ルワンダなど多くの紛争地で取材、撮影を続けてきた。1996年に、講談社出版文化賞写真賞受賞。
2010年以降、取材活動から遠ざかり、現在はオンライン古書店の運営、パレスチナ関連イベントに出演したりしながら、パレスチナを含めた世界の動向を追っている。
写真集に『戦争という日常』(講談社)、著書に『世界のともだち パレスチナ』『世界のともだち イスラエル』(いずれも偕成社)、『戦争の裏側』『バグダッドブルー』(いずれも講談社)、『戦場カメラマンという仕事」(共著・洋泉社)などがある。

パレスチナ 残照の聖地 増補復刻版